父方の祖母、その両親、そのまた両親がクリスチャンでしたが、私は教会とは縁のない生活をしていました。
3年半ほど前に夫と出会った頃、緊張した面持ちで
「最初に大切なことを伝えておきたい。」 と言われたので、構えていたところ、
「実はプロテスタントのクリスチャンなんだ。」 と思ってもみないことを言われ、とても驚きました。
遠い昔に歴史の授業で習った覚えはあるものの、カトリックとプロテスタントの違いも忘れてしまっている状態でした。
夫にとって教会はなくてはならない重要なものだとのことで、ますますよくわからず混乱しました。ハンバーガーにとってのハンバーグくらい重要だと説明され、
「それは大変!そんなに重要なのか!」
と、急遽インターネットや本でキリスト教について調べてみました。
ところがさっぱりわからず、教会に連れて行ってもらうことになりました。
どんな所かと緊張しながら教会に行ったのですが、明るく迎えてもらい、楽しめました。礼拝ではなぜか心が落ち着きました。しかし、信仰を持つ意味がやはりよくわからず、自分がクリスチャンになることはないだろうと思いました。
その後、毎週教会に連れて行ってもらい、プレゼントされた三浦綾子さんの本を読んだりするうちに、クリスチャンとして生きて行くのも良さそうだとぼんやり感じるようになりました。そして、夫と同じ信仰を持って、同じ方向を向いて一緒に人生を歩みたいと思うようになりました。
夫は私の気持ちの変化を大変喜んでくれ、嬉しくて、すぐに両親にも
「洗礼を受けるかも。」 と話をしたところ、
「Sのような欲張りがクリスチャンとして生活できるとは思えない。途中で嫌になったら結婚生活に支障をきたしてしまう。」
と、思わぬ猛反対にあいました。私はまだ気持ちが固まっていなかったので、うまく言い返せなく、自分でもよくわからなくなってしまい、受洗を迷うようになりました。
夫に迷いを正直に話したところ、私自身がキリスト教を求めていたのではと 言われました。
それはつまり、ハンバーガーである夫全体を通してハンバーグであるキリスト教も見ているはずで、キリスト教にも同時に惹かれているのではないかということでした。そうかもしれないと思いました。
また、思い返してみると夫と出会った当初、私は心の一部が乾いていました。世の中の情報の多さや流行の移り変わりの激しさに疲れ切ってしまい、立ち止まって人生の目的とは何かを考えているところでしたが、いつの間にか乾きも癒えていたことに気づきました。こうしてやっぱり受洗を決心することができました。
その後、結婚し子供が生まれ、毎日慌ただしく過ごしています。信仰についてはもう少しじっくり考える時間が欲しいところで、未だにわからないことだらけですが、初めて教えてもらった御言葉を信じてこれからも幸せな生活を送って行きたいと思います。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3.16)
Merryy Christmas
May you have a warm, joyful Christmas this year!
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