マタイ受難曲・・・それは世界遺産である

Gさんより

「この音楽は、いわば、全ての人称に向かって開かれている。したがって、われわれも時代を超え宗派を超えてそこへ入り込み、 感動を共にすることができるのである。」≪磯山雅著 バッハ=魂のエヴァンゲリストから≫

中学校からミッションスクールに通うことになった私は、入学して、たくさんの讃美歌を歌うことになりました。 一番好きな讃美歌をあげろと言われたら、讃美歌の136番を思い浮かべると思います。

初めて聞いたとき歌詞の悲惨さに驚き、音楽の素晴らしさに魅了されました。

音楽が歌詞の悲惨さをよりえぐり出して、その状況が生々しく伝わってきて、しみじみと受難週を過ごしました。

マタイ受難曲を初めて聴いたのは十数年前だったと思います。その時、讃美歌136番がこの曲の中から取りあげられたのだと思いました。

受難週を問わず、いつも聴いていたように思います。何の曲か知らない私の娘が、「こんなに悲しい曲をいつも聴かないで!」と言っていました。 その悲惨さと悲しみの深さを、この曲は確実に生々しく私たちに伝えてくるのだと思います。

バッハはマタイ受難曲の中で、この136番「血潮したたる」を5回も使っているのです。

最初、マタイ受難曲の中からこの讃美歌は作られたのだと思いました。

けれでも調べてみるとこれはもともとバッハの曲ではなかったのです。

まず、ベルナール(1090-1153)が、「十字架にかかりて苦しめるキリストの肢体への韻文の祈り」というラテン語の詩文を作詞しました。 その第七部の「頭への祈り」を、17世紀のドイツの讃美歌作者パウル・ゲルハルトがドイツ語に訳しました。

そして、ドイツの音楽家ハンス・レーオ・ハスラーが1601年に恋愛歌五声部の合唱曲を作曲しました。

その後、1656年にパウル・ゲルハルトの「血潮したたる」にこの曲を転用して発表されました。

この「血潮したたる」は、世俗音楽をキリスト教会の教会音楽として用いたコントラファクトゥーアでした。

この讃美歌は、ドイツにおける、受難コラールの中で最も有名だそうです。バッハはこの曲をマタイ受難曲のコラールにしました。

恋愛の曲を受難曲に持ってくるところがとてもバッハらしいと思います。この受難曲は主イエスに恋するバッハのラブレターのように思えてきます。 バッハはルター派の熱心な信徒でした。当時は宗教改革から200年くらいしか経過していなかったので、プロテスタントは当初、異端とされルター派は、 日本における私たちクリスチャンのように肩身が狭かったのかもしれません。

ルターは新旧約聖書をドイツ語に訳しました。それによりドイツ語による礼拝ができるようになりました。

今までのグレゴリオ聖歌ではなく、ドイツ語の讃美歌が必要になってきました。当時の流行歌や誰でも口ずさめる音楽に牧師などが作った詩が当てられ、 一般の人でも参加できる礼拝が成り立ち、ドイツ人の自立が促されていきました。

そんな中で、バッハはとても影響力のある音楽家だったのではないでしょうか。このマタイ受難曲はバッハ自身の信仰告白でもあり、 人々を信仰に導く伝道の曲でもあったのだと思います。聴く者を虜にする力強さは、バッハのキリストに対する想いの強さが反映されているようです。 多くの者に神のみ言葉を伝える、バッハ自身が福音を告げ知らせるもの=エヴァンゲリストだったのだと思います。

マタイ受難曲を聴き続けて、ずっと気になることがありました。キリストが亡くなって曲が終わることに違和感をずっと抱え込んでいました。 これほど悲しいことはありません。彼は死んでしまって、安らかにお眠りください。と言う曲が最後に流れる。安らかに眠って、終わってしまうのか・・・どうして復活が書かれていないのか。 ずっと喉に何かが詰まっているような感じで、すっきりしませんでした。受難なのだから、死んで終わりでいいんじゃないの?と思われるかもしれませんが、キリスト者にとって死んで終わりはあり得ないことです。 バッハは主の復活を体験しているのだから、その経験が表現されていないわけはありません。

もしも復活が無かったら、受難曲なんてあり得ない・・・

杉山好さんのマタイ受難曲について書かれた本を読んで、すっきりしました。杉山さんはこう書かれています。
「復活の主イエスキリストという、その信仰がなければおよそこの受難記事が伝わらなかったということがいえます。」 復活があったからこそ、福音書も、受難曲も存在するのです。

ハンス・ホルバインのキリストの亡骸を書いた有名な絵があります。

単なる死刑囚の死体の絵だったら、一体誰がお金を払ってまで見に行くでしょうか?

惨殺された死体を有名な絵描きが、理由もなく書くのならば、それは単なる悪趣味です。そこには、復活によって支えられている絵描き自身の存在があるのだと思います。 ただの死体の絵ではないのです。描かれてはいませんが復活が根底にしっかりと据えられており、それを、私たちは見に行くのではないのでしょうか。

復活の主イエスキリストという信仰がなければ、この絵が描かれることはなかったのではないでしょうか。

マタイ受難曲も同じです。復活は描かれていませんが、初めからずっと曲の根底に据えられている。復活は曲全体を包み込み、受難の意味を考えさせます。 聴く者が、弟子たちと同じ経験ができるように、キリストの受難の目撃者となり、キリストと改めて向き合い、誕生、受難、復活を一人一人が受け取ることができるようになっているのだと感じました。 それは、曲の構造にそれを可能にした仕組みがあるのです。

磯山雅さんは「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」で、このように説明されています。
【マタイ受難曲は、聖句、自由詩楽曲、コラールの三つの層から組み立てられています。
それぞれ客観的報告としての「彼」の世界、主体的省察としての「私」の世界、共同的応答としての「私たち」の世界を代表します。
三つの世界に橋が架けられており「彼」の世界の出来事が「私」の世界に移り「私たち」の世界に受け止められるという形で、音楽が、多層的に進められていくのです。こうした内面における目覚めの促しに、 受難曲の究極のメッセージはある。「彼」から「私」へ、さらに「私たち」へという流れの中に魂の救済へ向けての歩が象徴されているのです。】

著書「マタイ受難曲」では、磯山さんはこの曲をこう表現しています。「それはわれわれをいったん深淵へと投げ込み、ゆさぶり揺るがした挙句すがすがしい新生の喜びへと、解き放ってくれる。」 具体的にどこにその喜びがあるのでしょうか。直接的に復活を表現しているところはなさそうです。

私は不思議に思いました。
状況はどんどん悪い方に向かっているのに、音楽はそれに反して明るくなっていく・・・穏やかで、優しく愛情に満ちている。最愛の人の死を考えてみてください。
悲しみのどん底、そんな状況にあって穏やかで優しくあることができるでしょうか。

いつも立ち止まる曲がありました。
知らないで聞いていたら、作曲者がバッハであると気がつかないかもしれない・・・
そう思える不思議なメロディーに惹きつけられる59番。引き続く60番・・・

この59番は全く新しい響きへと私たちを導きます。ハッとさせられるのです。それは、60番を新たな気持ちで聴かせるためではないか?今ではそう感じます。

60番は59番同様にアルトによって歌われるので、なおさらそう思えるのかもしれません。

この60番が一番心に残っています。磯山さんによると、ここはミュラーに由来するところで、十字架上にあるイエスの姿を下から見上げると、両手を広げかがんでいるので、 皆を抱こうとしている様に見えるらしいのです。

まさにイエスは死のうとしているその時に、なんとも穏やかで楽しそうな、優しい音楽が流れてくるのです。生きなさい、死になさい、憩いなさい、イエスの腕の中で。アルトはそう歌うのです。 最愛の人が死んでしまっても、一秒、一秒、時間は過ぎていく。けれども自分は生きていかなければならない。

すべての苦悩をとことんイエスに委ねて、そして人はその悲しみをバネに、より一層強く生きていく・・・悲しみを力に変えていく人間の強さ、したたかさを感じました。
はじめは美しい音楽と悲惨な状況のギャップに、人間の残酷さ、冷酷さが際立って、すべて利用できるものは利用するというしたたかさに嫌悪を抱きました。 けれども、そうすることを神は良しとして、まさに神の子は人の下に下りました。その瞬間を、神が人間に我が子を差し出されたその瞬間を思いました。

そしてアルトはこう歌う・・・生きなさい、死になさい、憩いなさい。イエスの腕の中に・・・人の下に下った、イエスに全てを託して生きること。それこそが神が与えられた恵の全てであるとこの60番は歌っているように思いました。

現実を超越したところに存在するイエスにすべてを委ねて、自分はしっかりと現実を受け止めて生きていく。

死してもなおイエスのみ腕の中で憩えるその救いの喜びを、アルトは伸びやかに美しく朗々と歌い上げるのです。

悲しみの中にあって身動きの取れない状況から、その悲しみを力に変えていく姿は、それこそが復活のイエスに出会った人間が可能にできる事なのではないでしょうか。

イエスの復活の力が人間をそうさせる。そういうメッセージが込められているように思えました。

私たちは生も死も、死後もキリストに安心して委ねればよい。理不尽な現状、矛盾に満ちたこの世界、受け入れがたい自分自身を キリストによって受け入れられるようになったのならば、キリストによる救いは、私たちの現実と共にあると言えるのではないでしょうか。

(歌詞の見捨てられた雛鳥たちよ、とどまるがよい。→人生に理不尽、矛盾を感じて神に見捨てられたのだと自分自身を受け入れられないそう思っている いる人たちよ、神は見捨てたりしない。神はイエスを与えることでいつも共にいることを約束してくださる。ここにとどまりなさい。と解釈しました。)
そんな、前向きな生き方が見えてきます。

それは、復活を体験したものが歩む生き方でバッハ自身がいつも主と共に生きてきたのだと、感じさせられました。

どんな音楽でも、演奏するときには曲の中心に向かって、どう演奏するのか、組み立てていくものであると思います。マタイ受難曲の中心はどこなのでしょうか。 私にとって、この曲の中心、もっともバッハが言いたかったことは、やはりこの60番だと思います。

いろいろな本を読んでみると、おおよそ、マタイ受難曲の中心、山は63曲目のコラール「本当にこの方は神の子だったのだ。」という言葉を異邦人の百卒長が言う場面で一致しています。 確かに、イエスは神の子であるという告白は何よりも大切です。しかしクリスチャンにとっては当然のことで、新ためて確認することなのでしょうか? 63番は外側に向けられた伝道の曲であって内側のクリスチャンに向けられた中心ではないと思うのです。

マタイ受難曲はマタイによる福音書26、27章の受難記事を用いて作曲されています。レチタティーヴォは、ルターの訳した言葉をそのまま使って作曲されている。 しかし冒頭の有名な第1曲は、ゴルゴタの丘へ登るイエスの一行が描かれている場面なのです。

いきなり、十字架を背負ったイエスを先頭にして、刑場ゴルゴタへの行進の情景からマタイ受難曲は始まるのです。そして2曲目から26章に入っていきます。 そして60番直前の59番「ああゴルゴタ」は、ゴルゴタを歌った曲で、内容的には1曲目の続きです。全く新しい響きによってハッとさせられるのです。
これは冒頭からこの曲に注目しなさい。と言う目印なのではないか?
そして直後の60番。ここに神の福音があるのだというバッハからのメッセージを感じました。

60番の日本語訳はこんな感じです。
ご覧なさい。イエスは手を差し伸べて
私たちを抱こうとしておられる。
来なさい!
どこへ?
イエスの腕の中へ
救いを求めて、哀れみを受けなさい
求めよ!
どこに? イエスの腕の中に
ここに生き、ここに死に、ここに憩うがよい。
見捨てられた雛鳥たちよ!
とどまるがよい。
どこに?
イエスの腕の中に

来なさい!求めよ!とどまるがよい!ここに生き、ここに死に、ここに憩うがよい。というのは、イエスと共に生きた、復活を体験した彼らからの呼びかけだと思います。 それに対して、私たちは、どこへ?どこに?どこに?と問いかけます。すると、彼らは、<イエスの腕の中に>と答えます。このようにして、私たちはイエスの時代を生き、復活を体験したものの呼びかけに、問いかける形で、主の受難に立ち会うのです。

一曲、一曲にそれぞれ理由があり音楽的にその理由を裏付ける仕掛けがしてあります。バッハの天才的な才能が余すところなく表現されている音楽なのです。
一曲、一曲を細かく解説してある磯山雅さんが書かれた「マタイ受難曲」。杉山好さんが書かれた「聖書の音楽家バッハ」を読むことにより、マタイ受難曲の奥深さを噛み締めました。 本当にこの曲は世界的な遺産なのだと思います。

ちなみに私はPhilippe Herreweghe指揮/Collegium Vocale Gent

アルトはアンドレアス・ショルのCDを聴いています。