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華麗なる壮年会からのご案内

『華麗なる壮年会!』から日曜食堂のご紹介です!

『華麗なる壮年会!』って???という方は、是非、一度、日曜日に弓町本郷教会に足を運んでいただき、味わってみてくださいね!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
このページでは、荘年会の活動の一つである、日曜食堂のカレーライスができるまで(主日礼拝後の日曜食堂では、月に一度、壮年会が担当で、メンバーが早朝から礼拝までの時間に準備をしています。)の様子をご紹介いたします。 主日礼拝後は、弓町本郷教会の日曜食堂(300円)でランチしてみませんか? 荘年会のカレーも月に一度、どこかの週で食べれますよ!是非味わってみてくださいね。
弓町本郷教会の日曜食堂は、週ごとに担当者とメニューが変わるので、まだ味わってない方は、楽しみにして来てください!!


ランチしながら、新しく壮年会のメンバーになられた方にインタビュー。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
教会に足を運んだきっかけから受洗までの道を詳しく聞くことができました。そして、信仰告白会で発表された内容を、このページ用に改めて書いてくれましたよ。是非、じっくり読んでみてくださいね。貴重ですよ!!

信仰告白

坪井 隆さんより

信仰告白とは、何故教会に来るようになったか、また洗礼を受ける決心の過程を皆様の前で述べることだと考えます。これはローマの信徒への手紙10章9節、10節「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」ここに根拠があるようです。

私は、昭和1948年生まれです。両親は宗教心に熱いほうでした。仏教、神道、お稲荷さん、御岳信仰等何でも信じていました。さながら宗教のデパートのようでした。ある意味ではこれは、日本人の宗教の関わり方の典型でした。

母は朝太陽を拝み、夕方、三日月を拝みました。仏壇、神棚も毎日拝み、月に2度坊さんが、お経を上げに、家に来ました。また神官も毎月やってきて、神棚で祝詞をあげました。小学校時代は、夜、母と近所の氏神さんによくお参りに行ったものです。母は、アーメンは外国のものだから、ダメだよ、と私に教えました。クリスマスはケーキを食べる日で、イエス様のお誕生とは関係ありませんでした。

それでも中学時代にはキリスト教の文化が入ってきました。私ぐらいの歳の人なら、わかるかと思いますが、映画です。「ベンハー」、「十戒」、「偉大な生涯の物語」などを見ました。チャールストン・ヘストンは懐かしい俳優です。

高校時代になると、クラシック音楽が好きになり、バッハの「マタイ受難曲」、「ロ短調ミサ」その他カンターターをよく聞くようになりました。マリア・シュターダー、ウルゾラ・ブッケル、ペーター・シュライヤー等も懐かしい名前です。高校時代はモーツアルトの「レクウエム」を聞いて死にたい、と夢見ていました。キリスト教文化にどっぷり浸かったのですが、一方では、母の戒めを忠実に守っていました。

大学時代になると、スピノザなどを読み「自己原因を内に持つ実体が神」である、とする考え方が少しはわかる様になりました。私たち人間は不完全で、存在自体に自己原因を持ちません。完全なもの、絶対的なもの、無限なるものが神である。抽象的な概念をもて遊んでいたのでしょうか。そうした概念とは別に、人間を超える大きな存在を感じるようにはなりました。

そして段々歳を取るにしたがって、先輩の死、友人の死を経験するようになると、人生の不条理を感じました。ヨブ記にある「主は与え、主は奪う」です。人間は自分の意思で生きているように思っているけど、案外何かに生かされている、と感じることもありました。

2000年に妻節子さんが、堅信礼を受け、教会に足しげく、通うようになりました。その、2、3年後彼女は私を教会に誘うようになりました。すぐに信じなくても、教会へ行くだけでよいとも言いました。いやな予感がしましたが、長年の同士の誘いをむげに断るわけにはいかないので、時々教会に足を運ぶようになりました。

教会に慣れてくると、説教も楽しく聞け、話が心に沁み込む時、考える時、笑う時など様々です。祈りは、神を心に迎え入れること。神を崇め、賛美すること。そして懺悔することで、単純に求めるだけではないと理解できるようになりました。そうすると、主の祈りを唱えるのは気持ちがよいと感じだしました。

またマタイ伝を読むのが面白くなってきました。絶対者・神の概念はすでにわかっていましたが、それが具体的にイエス・キリストに結び付きだしたのです。使徒信条もわかり、信じられるようになってきました。節子さんからは、「あなた洗礼を受けないと、同じお墓に入れないわよ」、などと脅されもしましたが、それに屈したわけではありません。それとは無関係に洗礼を受け、残された人生を神との関係で生きたい、そうしたら生き直す事ができる、そんなことも考えだしました。どうして、こんな気持ちの変化が出てきたのでしょうか。自分でも驚いています。

多分、菅原先生をはじめとする牧師さん達の説教を聞いている間に、聖霊が降りてきて、キリスト教が少しずつ体の中に入ってきたのでしょうか。信仰・改心へのコペルニクス的な劇的な訪れはありませんでしたが、確実に信仰の根が成長した気がします。神への感謝の気持ちが芽生えましたが、反対にいとも簡単に神の存在を忘れることがある。ああ、これが原罪なのだと実感しました。

信仰と知識は違うこともわかり、昔のようにキリスト教をもっと知ってから、聖書をもっと読んでから、すなわち知識で武装してから、洗礼を受けようとする態度を捨てました。そんなことをしていたら永遠にそのチャンスを逃すことがわかったからです。昨年の8月映画「ツリーオブライフ」を見た時、受洗を決心しました。

映画はヨブ記の言葉が引用され、人間の生死は人間のコントロール出来るものではないことを示します。また、世俗に生きるか、神に委ねるか、どちらかを選ばなければならないと言う。映画の主人公ジャックは、金持ちで、地位もある、世俗的には成功者です。しかしむなしさも感じている。ある時ふと子ども時代の過去を回想する。神の恩寵に生きた優しい母、いじめてもやり返さない優しい次男の弟(19歳で死亡)、確執のあった父等を思い浮かべるが、母、次男の生き方が、神に委ねた生き方であることに気づく。そして神が自分を見ていてくれた、と感じる。世俗に生きることを放棄し、神に祈る自分を取り戻す。愛する気持ちが湧き上がると、確執のあった父とも和解できるようになる。若干意訳があるかと思いますが、簡単に映画を要約しました。

私も信仰を持たない人間の常としてぶれた生き方しか出来ない。生きることの不条理を感じることがある。しかし、私のために祈ってくれる人がいる。価値観を変える条件はすべてそろっており、私自身神との関係で生き直したいと感じ始めている。ここで映画「ツリーオブライフ」と私の受洗の決心は繋がるわけです。

12月、菅原先生、節子さんから受洗の話がありました。まさしく、時は満です。今はイエス・キリストの深い愛につつまれて生きていることを実感出来、感謝でいっぱいです。また、私のために祈ってくださった皆様に感謝します。

何分にも駆け出しですので、菅原先生及び皆様のご指導を賜ることを切に願っています。

以上簡単ではありますが、私の「信仰告白」とさせていただきます。

いかがでしたか?さて次は、礼拝後、美味しいカレーに感謝です!とホクホク食べながら、弓町本郷教会の中で、1年間、様々な交わりを深められた畑雅乃神学生が、『証し-看護師から牧師して』について語ってくださり、その内容が届きました。感謝です!!こちらも是非、じっくり読んでみてくださいね。今回も貴重ですよ!

『証し-看護師から牧師して』

畑 雅乃さんより
 

ルカによる福音書19章1〜10節

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、私は財産の半分を貧しい人に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの炬なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

私はクリスチャンホームで育ちました。私の名前の雅乃は、旧約聖書の雅歌が由来です。神さまとの結婚が謳われるこの詩において、このように神さまに愛されて私も神さまを愛する人として、この名前が付けられました。

その環境の中、神さまの導きと両親の決断によって生後5ヶ月で幼児洗礼を受けました。

私の出生時の状況は、生死の境にあるものでした。妊娠中毒症であった母は、重度の羊水過多症を患いました。

そのため母子共に出産時の生存率が50%と低く、胎児は産まれても障害を持つだろうということでした。父母は、クリスチャンであった母方の祖父母と共に、全てを主にお委ねしようと祈ったそうです。

その祈りと励ましの中、出産の時を母子共に無事に迎えることが出来ました。私も標準よりやや低体重でありましたが、心配されていた障害はありませんでした。 ですが、私は発育状態が悪かったので、母が退院した後も保育器の中で1か月入院していました。無事に出産を終えた母ですが、生んだばかりの子供と1か月も会えない日々の中で、毎日泣いて過ごしていたそうです。1ヵ月後、私は退院を迎えました。

でも発達過程に多少問題があると言われ、成人するまで標準の児より3年遅れて成長するだろうとのことでした。それでも、命が授かり無事退院できたのだからと、父母はその点において神さまに感謝 したそうです。

私は、3年遅れて成長するとの医師の宣告通り、極度の発達障害はなく中途半端に発達の遅れた子供でした。 標準よりも少し劣る子供だった私は、グレーゾーンにありました。

情緒も未発達だったので、同級生より落ち着きなく先生からはよく注意を受けました。仕方のないことですが、先生からはかなり辛辣な言葉で、注意を受けることもしばしばありました。 先生が望む行いや結果を出せない自分を腹立たしく思う日々でした。

このように先生の期待に応えられない私にとっての慰めは、小学校の養護教諭と教会学校の先生でした。

物事を同級生と同じように理解できなった私を、その発達段階の児ではなく一個人の人間として見てくれ、理解してくれました。

その中で私を励まし慰めてくれた養護教論が、海外青年協力隊で看護師として活躍されたのを聴いた時は、私もこの人のようになりたいと思いました。この先生がしてくれたように、人に理解できない寂しさの中にある人の隣人になりたいと思ったのです。でも、まだグレーゾーンにあった私のこの思いは、周りの先生からは鼻で笑われるものでした。

発達過程が他の児よりも遅い私の外見は、とても小さく、そのころ住んでいた場所においては奇異でした。ですから、障害者と言われることがありました。

その言葉を投げかけられる対象が、自分であれば気にはしませんでした。神さまが、これが完全だと私に与えてくださった体です。 人の目にどのように映ろうと、神さまのお考えによって私はこのように創造されたのですから感謝すべきだと思っていました。でも、私が障害者と指差されていることを知った母の見せた悲しげな表情と、弟が学校で障害者の兄弟と野次られているのを見た時は、心が張り裂けそうでした。

私という人間が存在しているせいで母と弟がこんなにも辛い思いをしている。

愛する家族を苦しめる自分の存在が否まれて仕方ありませんでした。

母は、忍耐力のない私に、日々忍耐をもって支えてくれました。その家族を私という存在が苦しめている。

なぜ私のようなものが、存在していているのかが分からなくなりました。人々から不要だと言われているばかりでなく、存在が人を傷つけていると思い込み始めていました。自分を、世間から忌み嫌われた存在のように感じ始め、自分の存在理由を神さまに問う日々でした。

そのような時に、ルカによる福音書のザアカイの説教を教会学校で聴いたのです。

世襲制度により徴税人となったザアカイ。

徴税人は、ローマ帝国に税金を払うために税を回収します。 ですが、その回収額以上の額を市民に請求し、上乗せした額を全て自分の懐に入れていました。そのように徴税人たちは、生業を立てていました。そのため、ザアカイは人々に疎まれ嫌われていました。ザアカイも私と同じように、人から必要とされない状況にある人だと思いました。自分が不要だと感じるのは、それだけで孤独です。

自分の存在理由が分からない私の孤独と、ザアカイの孤独の種類は少し違うかもしれませんが、同じ深い闇にいる人間として共感したのです。ザアカイは、人々に遮られてイエスさまを見ることが出来ませんでした。イエスさまを見ることの出来るようにと、誰もザアカイのために道を開けてはくれなかったのです。

ザアカイは、イエスさまを一目見たくて、いちじくの木の上に登り、そこから道を覗き込んだのです。ザアカイがイエスさまに対して、興味本位だけで木にまで登って歩かれる道を覗いたのか、助けを求めて覗いたのかは、はっきりしません。

それでも、ザアカイはイエスさまと、劇的な出会いをします。イエスさまは、ザアカイに目を留めて上を見上げて言われました。 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

世間の人から嫌われ必要とされていないと思っていたザアカイに、イエスさまがこのように声をかけてくださったのです。周りの人たちと同じように分け隔てなく平等にザアカイを愛してくださったのです。

その声は、その時の説教を聴いていた私にもかけられました。

深い闇の底にいた私を、イエスさまの手が差し伸べられたようでした。その語りかけによって、ザアカイも私も暗闇から引き揚げられたのです。

人の価値判断で自分を判断するのではなく、神の御子であるイエスさまの判断に従えばよいのだと気付かされました。

私たちの人生は私たちに委ねられていますが、全ての主権は神さまあります。

イエスさまの言葉によって引き揚げられた時に、私は自分を不要であると判断することも、罪なのだと気付かされたのです。

生も死も神さまの手の内に在ります。生かされているのは、神さまが私を必要だとされているのです。 自分勝手な思い込みで、人生をつまらないものにしようとしていた自分がとても恥ずかしくなりました。

人が神さまを見ないことは、このような罪に陥ってしまうことなのだと感じました。

神さまに必要とされていることに気が付いたことで、生かされている限り喜んで生きようと思いました。このように、引き揚げてくださったイエスさまの恵みにただただ感謝する気持ちと、神さまにずっと繋がっていたいという気持ちで16歳の時に信仰告白をしました。

私も長い間グレーゾーンにありましたが、成長と共に少しずつ学ぶ意欲が与えられ始められました。

その中で、神さまと人との役に立てる働きをしたいと考えた時、幼い頃に出会った養護教員のことを再び思い出したのです。

看護師として、少しでも役立てたらという思いからその進路に進みました。 私は、そのような経過で看護師として働き始めました。

看護師になって感じたことは、人の役に立てるという気持ちよりも、沢山の方々に助けられて働かせてもらっているということでした。 患者さんから、他のスッタフから励まされつつ助けられて、お互いの相互関係において仕事は成立していました。

傲慢さの中には、効果的なケアの提供もより良い情報提供もありません。

その関係の中において、常に自分の傲慢さが砕かれますが、その都度良き関係が再構築できました。

そのような関係の中で、死と向かい合う患者さんに対しては多くを考えさせられました。

告知を受けずに入院された患者さんでも、日々弱っていく体力と強まる痛みに対して不信感を抱きます。自分は余命いくばくもないのではないか、というその不信感が不安を募らせます。

その不安が、夜の漆黒の闇において増長するのです。

昼間には、あまり鳴らされることのないナースコールも夜の闇が深まるにつれ、頻回となります。

痛みや苦しさと言った身体的緊急を要する用件は少ないのですが、傍らにいて話をしてほしい、暫くいて体を擦っていてほしい等の心理的要求の用件が多くを占めていました。

また、クリスチャンであっても死を間近にした時は、不安を募らせてしまうことありました。

それほどまでに死は、人を不安と先の見えないような恐怖に落とします。

でも、多くのクリスチャンは教会の祈りにおいて日々を励まされ支えられていました。そして、死を恐怖や不安ではなく、全てを神さまに委ねるという穏やかな気持ちの内に、迎えられているようでした。

私たち人間は、どこかで必ず自分本位になってしまう、拭い切ることのできない罪があると思います。

その拭い切ることのできない欠けた私たちの罪を、神さまに赦してもらうため、イエスさまは自らを生け贄とされて十字架につけられました。 そして、私たち人間の罪の罰としてあった死に対しても打ち勝つことができるようにしてくださいました。

イエスさまは、私たちが落ちる黄泉に先に降りられて、そこから復活してくださったのです。

クリスチャンは、黄泉に落ちてもイエスさまがそこから天へと上がる道を、私たちのために拓いてくださったことを知っています。

そして、私は、自分を闇から引き上げてくださったイエスさまを知っています。その事実にクリスチャンは、心から感謝をします。その感謝が喜びとなって、改めて自分自身を見つめるのです。自分自身と向かい合い、イエスさまに出会ったときには、悔い改めが出てきます。

私たちは、神さまに悔い改めて祈るのです。クリスチャンはその祈りと教会での礼拝の中で、神さまとイエスさまが確かにおられることを知るのです。その教会という共同体の祈りが、死を目前とした人をも神さまの平 安へと招いていく手助けとなります。

そのような中でクリスチャンは、死に打ち勝ったイエス・キリストを想起して、死を恐怖ではなく、乗り越えられるものとして受け入れているのです。

しかし、イエスさまのそのような勝利を知らなければ、人は夜の闇の中で死への不安と恐怖に戦くだけです。そのような患者さんを前に、イエスさまなら確実に引き上げることが出来るのにと思いました。

深い闇から、引き上げられる事実に気付かないことで襲う不安。その不安の日々を見過ごしにはできないと思いました。

歴史上に人として来てくださったイエスさまが、私たち人のために成してくださったことは、人では成し得ないことです。

私たち人間は神さまの愛のなかにあって、そこに気が付くことで取り除かれていく不安や恐怖が多くあります。神さまの愛の中にあることに気が付くことが信仰です。

この意味の重要性を伝えることが、この状況を知る私に与えられている使命なのではないかと思いました。

幼い時にいたあの闇に届いた一筋の光、そこから引き上げられた時の感動。それが、私の原動力となっています。闇にある方々に、その一筋の光である御言葉を語るという働きを通してイエスさまに用いていただきたいと思ったのです。そして、私は牧師を目指 して東京神学大学に入学しました。

入学後、私が闇の中にいた経験をも、神さまの確かな導きと慈しみの中に導かれるためのご計画の一端だったのだと確信させられました。そして、牧師になりたいと決断したのは私ではなく、弱く欠けのだらけの私を、神さまは御用のためにこのように導いてくださっているのだと日々思わされるのです。

このように、神さまに日々を支えられ、励まされ力強くされる生き方を示されていることにただ感謝するばかりです。

そして、このページのラストは、華麗なる壮年会一同からのメッセージです。
「このページをご覧になった方へ。弓町本郷教会のどこかでメンバーを見かけたら、どうぞ気軽に話しかけてくださいね。お待ちしております!!
日曜日の弓町本郷教会のランチは、是非味わってみてくださいね。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ」

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