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「受洗の証」  クリスチャン( 木村Kさん)より

洗礼について(photo)

本日は受洗の証の場を賜りましたことを誠に感謝します。洗礼に至る経緯を告白するにあたり、今までの人生の道のりと合わせながら神に導かれた話をさせて頂きます。

私にとって、最初の聖書との出会いは生まれてすぐでしたので、それがいつだったのかという記憶はありません。私の母は異端派としてしられる、熱心なエホバの証人の信者でしたので、小さい頃から王国会館と言われる集会所へと連れて行かれ、自然と聖書を学ぶ生活の中にいました。母は結婚して間もない頃、戸別訪問の宣教者を通して、聖書を学び導かれ、信者になったと後で聞きました。母は元来、心優しい柔和な人柄ですので、教団の解釈における聖書の教えが、母の心にすんなり入ったのかもしれません。

私が子供の頃

父は、母の宗教熱が帯びるにつれ、反対者になりました。父の性格はたいへん変わっており、殻に閉じこもり、己の観念の世界に生きているような人でした。星飛雄馬の頑固親父のように、生真面目で自分が正しい思う信念を貫く人ですが、同時に他人に対する寛容さを持ち合わせていず、いつも何かと衝突して苛々としている人でした。父の宗教観は、平均的な日本人と同じく、仏教を信仰しているというよりは、冠婚葬祭のしきたりを守ることに意識を置いているような人でした。

両親

そんな両親でしたので、始めからうまくいくはずはありませんでした。週4回の集会に、母に連れて行かれる度に、父は烈火の如く怒り狂い、教会に行くことを辞めさせようとしました。父の機嫌が悪い日と重なると、それはもう家の中は台風のごとく荒れに荒れ、ときには母に暴力を振るい、家から出されることもよくありました。父にとって、エホバの証人は輸血を拒否するカルト教団と考えていたため、いかなる手段を使ってでも、辞めさせようとすることは絶対に正しいことだと頑なに信じていました。そのため、自分の行為に良心の呵責を感じるようなことは一切ありませんでした。父の暴力的な行為は、母にとって悪魔サタンからもたらされるものだと捉えていた為、反対されればされるほど、母は信仰をより強いものにしていました。

私と妹

私と妹は、母の意志に基づき、集会へと連れていかれた為、わたしたちが父から直接反対にあうということはなかったのですが、父と母とのやり取りを狭い部屋の中で、見聞きするのは耐えられないものでした。父の反対も次第に厳しいものになってきたため、私が小学校3年生頃になると、母は一人で集会へ通うようになりました。母が集会から帰ってくる時間になると憂鬱な気分になりました。帰ってくると、父の説教が始まり、耳を塞いでも聞こえてくる父の逆上した声を聞くのはとてもつらいものがありました。この家庭が子供ながらにも、普通ではないことはわかっていましたが、子供の自分には何もすることができませんでした。

小学3年生ぐらいまで

私は小学3年生ぐらいまで集会に行き、母が聖書にある有名な物語を読んでくれたりしましたので、一神教の絶対的な神が存在するということが心に刷り込まれました。しかし、集会にいかなくなると、母も熱心に私と妹に教える機会は少なくなりましたが、誕生日を祝わないことや、格闘技を習得しないこと、血を含んだものを食べないこと、輸血を拒否することなど、母からよく言われました。成長するにつれて、信仰もないのに、そんなことを言われるのに矛盾も感じていたため、守ったり守らなかったりと優柔普段な態度をとっていました。家の中では年中、父が母へ説教しているような状況でしたので、私はなるべく、冷静に振る舞おうとしていました。しかし、高校生以降になると何か息苦しくてしょうがありませんでした。

>空しさ

何をしようとしても喜びを感じず、空しさばかりを感じるようになりました。体はこんなにも健康であるのに、どうして心がこんなにもつらいのだろうと感じていました。 そのような気持ちだと、もちろん友達も作れませんでした、さらに疎外感がつのり、大学に行ってもいつも一人で、何のために通っているのか、 人生がとても意味のないものに感じ、学校にもだんだん疎遠になってきました。そのとき、かなり重度の鬱病だったと思います。 私は生きている意味が本当にあるのだろうか、私はどうしてこんな落ち込んだ気分なのだろうか 。私は生きる屍のように、将来への希望も持てないような、どん底の状態でしたので、死ぬことさえ感じ始めました。 しかし、私にはその決断をすることはできませんでした。それだけの勇気がなかったのだと思います。 そのため、私は、ひたすら自分を無にして、自分の存在を消し去ろうとしました。何も考えずに何もしないような、寝たきりに近い生活を続けました。

そんな生活に終止符を

そんな生活を続けているうちに、私の意識がこの世界へ溶け出していくような感覚を覚え、これ以上続けると本当におかしくなり発狂してしまうのではないかという恐ろしさを覚え、 そんな生活に終止符を打ちました。そのときなって初めて、私の置かれた状況をもう一度冷静に振り返り、このような辛苦の人生を背負いながらも、どのようにしたら未来に希望を持ちながら、 生きることが出来るのかを考えてみようと思いました。

アダルトチルドレン

それから、様々な本を読み、私がアダルトチルドレンであることがわかりました。また、父と私との関係、母と私との関係、 そして、父と母の関係が非常に不安定で愛も屈折したものであったので、その歪んだ関係が自分の性格形成に大きな影響を受けたことを知りました。 落ち込んだ暗い気持ちが私の心を支配し、何に対しても喜びを感じない態度は、他者との結びつきを難しいものとし、さらに落ち込むという悪循環になっていることが見えてきました。

宗教の危険性

私はすぐに、その救いとなる真理を見つけるために、宗教にその答えを求める気にはなれませんでした。

それは両親の問題を通して、宗教の危険性を感じたらからでした。私は、いつまでも逃げてはその問題を抱えたままになってしまうと思い、荒波に飲み込まることを覚悟した上で、この現実世界と対峙することを決めました。そうすれば、他者との交流を通して、彼らと同じように振る舞うことで、私も普通の人間になれるのではないかと思いもありましたし、私の歪みを矯正する打開策も見つかるのではないかと思いました。

フォトグラファー

そのため安直にも、カメラを持てば、様々な人と交流できるのではないかと思い、フォトグラファーを目指しました。最初は、技術を身につけるために、広告関係の仕事に就き、それから、社会をより広い目で見るためには海外で勉強するのもよいのではないかと思い、アメリカでフォトジャーナリズムを学びました。

カメラを通しての出会い

カメラを通して、様々な出会いがありました。浮浪者や低所得者などの社会で低い地位に置かれている人や、難病で死が迫っている人、精神病を患っている人などと出会いがありました。

それらの出会いを通して、私だけが問題を抱えているのではないことを知りました。世の中の軋みは様々な方面に及び、そんな世界と対峙していると、人間の無力感を痛感し、何もかも所詮は諸行無常なのではないかという諦観した気持ちにさえなりました。

私がいくら真理を見つけようとしても、限界を

日本に帰国してからも、この世の中で希望を持って生きることはできないのだろうかと思索を続けました。しかし、私がいくら真理を見つけようとしても、なにも手がかりは見つからないし、限界を感じるようになってきました。

元外交官であるキリスト教徒の佐藤優氏の著作への出会い

そんなときに、私は作家で元外交官であるキリスト教徒の佐藤優氏の著作に出会いました。 私は彼の本を通して、キリスト教思想の本質の断片を掴むことが出来ました。本日は、彼の著作にも書かれており、また、ドイツの神学者ボンヘッファーの概念である、「究極的なもの」と、 「究極以前のもの」について簡単にご紹介させて頂きたいと思います。

「究極的なもの」

「究極的なもの」、それは神の御言葉で、「究極以前のもの」、それは我々の世俗的な世界全般です。 たとえば、今現在、社会問題となっているネットカフェ難民を例にとれば、職も住まいも安定せず、その日暮らしの生活に追われ、御言葉を聞く機会すら与えられない人は、 神への信仰に導かれることはありません。「究極以前のもの」の現実世界が不十分なため、「究極へのもの」への神の道が閉ざされている状態なので、 「究極以前のもの」であるこの現実世界と真剣に取り組む必要が生まれてきます。

神学概念や、様々な神学書や聖書を調べるにつれて

この上記のような神学概念や、また、様々な神学書や聖書を調べるにつれて、父と母の関係がおぼろげながら見えてきました。それは、父が正しいと信じる思想と母が信じる宗教の思想は、異なる不完全さを伴った完結した公理系を形成しているので、 異なる思想を強要することはお互いの関係を破綻させてしまうことがわかりました。

己の観念の世界への逃げ込み

父は母の宗教を辞めさせるため、頑なに一切の妥協も許さず反対することで、父の考えは絶対化し、己の観念の世界へ逃げ込み、母の宗教に反対すればするほど、その世界をより強固なものにする力に転化されてしまったのだと思います。

結果的には

また、母の信じる宗教は、基本的に他の宗教や思想をサタンからもたらされる邪教と断じ、議論する前から一切の話会い拒否するため、父に反対されればされるほど、救済を宗教に求めるようになってしまったのだと思います。「究極以前のもの」としての家庭という生活よりはむしろ、「究極的なもの」の神の世界により依存するようになってしまい、結果的には、その宗教の教えに支配され、本来の人間のあるべき本質を失ってしまったのではないかと思うようになりました。

父と母の関係は破綻しながらも、その破綻した関係が依存の関係に転化し、ねじれた関係を形成しながらも、家庭生活を無理に保ってきました。そして、子供達である私たちは、そのねじれが生み出した渦に巻き込まれてしまったというのが私の人生だったのだと見ています。結局、そのようなねじれた関係は最終的に破綻に陥ります。父は今、母と会話することを辞め、家庭内別居という関係にあります。その成り果てを見て、心が痛みます。

彼らの人生は何であったのかという問いが実家に帰るたびに沸き起こります。

ねじれた関係

結局、そのねじれた関係は、家庭内を不安定なものとし、私と妹は心穏やかにして安心して過ごす場が家庭にはありませんでした。その歪みは、家族一人一人のつながりを希薄なものとし、幼少期に必要な、無条件な愛が満たさず、結果、不安定な人格を形成し、人間関係を構築するのに乏しい人間にしてしまったのだと思います。

そのような究極以前なものが不十分であると、究極的なものに至るのを困難なものにしてしまう。私はそのことを無意識のうちに感じたため、宗教を経由するよりも先に、カメラを持ち世界と対峙することにしたのだと思います。

絶望

私はカメラを手にとり社会と対峙し、へとへとになりながら、もがき苦しみ、この世界に絶望しつつ、この世に悪をもたらす人間を憎悪し、また、父と母を恨みつつ、自己を無条件に肯定する生き方をしてきたのだと感じるようになりました。

しかし、善と悪を選り分けようとすればするほど、私は何が善であり悪であるのかわからなくなり、それよりも私の持つ罪の腐臭に気づき、自分は偽善者でないかと自己否定するようにもなりました。

しかし、キリストを知り

しかし、キリストを知り、私は自身の原罪を無視し、人間の限界をもわきまえずに、自己を神格化する、別の言葉で言えば、自己を偶像崇拝するという罠に陥っていることに気づきました。

そのときはじめて、イエス・キリストが神であるという認識が

そのときはじめて、私はイエスキリストと出会えたことをはっきりと認識しました。そして、私は幼子の時から構築した神認識を捨てさり、イエス・キリストが神であるという認識に導かれました。

私は聖書や神学の書籍に触れるたび

私は聖書や神学の書籍に触れるたび、「究極以前のもの」であるこの現実世界で、他者との結びつきを強化することが、神の真理に少しでも近づける方法の一つであると確信するようになりました。また、神は私に他者との関係と見つめ直し、その相互関係を強化することを私に求めているのだと思うようになりました。

この現実の世界に生きながら、神は聖書を通じ、私たちに真理を与えてくださる。

この現実の世界に生きながら、神は聖書を通じ、私たちに真理を与えてくださり、生きる道標を与えてくださりました。コリントへの手紙第1の13章の「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」にもありますように、この世界にて、どうこの「愛」を実践していくかを神に祈りながら思索していこうと思います。

弓町本郷教会に

私は弓町本郷教会に訪れたとき、多くの人が気さくに声をかけて下さり、安心して教会に向かうことが出来ました。この教会がキリスト教信者のみならず全ての人に開かれている公の役割を担っていることを感じました。神の元で、一人一人が、信頼しあい、一つの家族のような、そんな無償の愛を教会にて感じとることができました。何か、私が幼少期に失っていたものを、与えてくれるようなそんな教会に巡り合えましたことを感謝しております。

洗礼への告白

最後に、私は前述したように、普通とはかなり異なる破綻した家庭に生まれ育ちました。このような人生を神から与えられたのには意味があるのではないかと感じています。また同時に、神から地の塩として役割が与えられているような神の意志も感じています。どちらにせよ、日々、神のことばに耳を傾けることが私に求められていると思います。

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