新しく生まれるということ (クリスチャン N さんより)
日々生活をするなかでの気付きとその気付きに基づいて自分を変化させること。
そして少しでも成長した自分を実現させること。
私はこれこそが「新しく生まれる」ことだと思っています。
この気付きに出会うために、私には聖書と説教が必要です。
私は高校1年のクリスマスに洗礼を受けてクリスチャンになりました。 教会との出会いは中学1年の時だったので実に10年近く関わりがあるわけですが、 真面目に10年間通い続けたわけではありません。
洗礼を受ける少し前まで神様はいないと信じていた私には教会は友達に会うための場所であって、 神様に出会うための場所ではありませんでした。 それでも教会に行くのは月に1〜2回、もしくは一ヶ月まるまる行かない時もあり、 本当に気が向いた時に行くというような不真面目ぶりでした。
しかし不思議なことに、教会に行かない日が続くと誰かに言われたわけではないのにふと急に教会に行きたくなるのです。 何故こんな気持ちになるのかは洗礼を受けてからもずっと長い間わからないままでしたが最近ようやくわかったような気がしています。
何か悩んでいたり、寂しさを感じている時に私はふと教会に行きたくなるようです
そして聖書や牧師の口から語られる説教を聞いた後には、「あっ、そうか。」と何かに気付かされて自分の持っている悩みや寂しさを解消するためのタネが胸に残っています。
教会に行って私は聖書や説教(ことば)を通じて神様に逢っている、そんなふうに感じます。 しばらく教会に行っていなくて神様に逢っていなくても聖書や説教はいつでも気付きのタネを与えてくれます。 「ああ、教会に来ていない間自分勝手な事が多かったなあ」と(笑) それから「こういうふうにしたら改善できる」と気付きを元にして自分を改めようという意識が生まれるのです。
ほんの些細なことかもしれませんが自分にとってはこれが新しく生まれるということです。
イエス・キリストの復活については、上手く表現できないのですが、神様に気付かされて、いまの自分を変えようと思って実現すること。 それで少しでも変われた自分はバージョンアップした新しい自分なのです。
教会は分け隔てなくいつでも新しく生まれる機会を与えてくれます。聖書の言葉と説教のことばから神様に逢って、いつも新しい自分と出会わせてくださいます。
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