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弓町本郷教会からの手紙 [クリスチャンの声]

ぶどうの枝

子どもの声を聞いて

坪井 節子さんより (弁護士)

少年鑑別所で

今日、少年鑑別所でひとりの少女に会ってきました。家出、窃盗、恐喝を繰り返し、年齢を偽って風俗営業で働いていたところを補導されたのです。私は、彼女の付添人です。大人の裁判でいうと弁護人にあたります。面会は今回で三回め。 「大人なんか絶対信じない。あんたなんかに心配されたくない。もう死んでもいいや。十六年、十分長く生きたよ」これまでの二回の面接で、彼女は、そう悪態をついて荒れていました。

生まれる前に父を亡くし、生まれて一月で母に置き去りにされ、それからずっと、乳児院や児童養護施設でくらしてきた子です。私はつらくて、どうしたら彼女と心を通わせることができるのかと悩み、落ちこんでいました。

子どもたちとの出会い

子どもの人権救済活動という分野で働き始めて十四年になります。もちろんふつうの弁護士の仕事もしていますが、弁護士になって七年め、ふたりめの子どもが二歳になって保育園にも慣れたころ、東京弁護士会の「子どもの人権救済センター」の相談員になったのがきっかけでした。

子どもの相談ぐらいなら私にも出来るだろうと、たかをくくったのが大間違い。電話相談や面接相談で出会った子どもたちの話の中身は、私の想像を絶するものでした。学校の中でのいじめや体罰、不登校、家族や施設の中での虐待、少年犯罪、子どもの買春(売春ではなく、買う大人の側から見たときに買春というのです)。

そうした現実の中にいる子どもたちが、小さな胸の中に、これほど深い苦しみや悲しみ、怒りをためこんでいたとは。だれにも語ることができずに、ひとりぼっちで、もう生きていたってしょうがないというほどの絶望に陥りながら、それでも必死に生きてきたのです。よくぞここまで生きてきたものだと、子どもたちに畏敬の念すら抱きました。

私に何ができるのか

それからが大変でした。子どもたちの苦しみを聞いてしまった私は、どうしたらいいのでしょうか。かつて私自身が体験したこともないような苦悩を背負っている子どもたちに、いったい私は何をしてあげられるというのでしょうか。 大人たちからの法律相談であれば、弁護士としてそれなりの知識や情報もあり、何をどうやって解決すればいいのかのアドバイスをすることができます。

しかし苦しむ子どもたちの前では、弁護士の肩書きなど役に立たないのです。大人であるということすら、意味をもたないのです。 何の解決策も見つけられず、相談に来た子どもといっしょになっておろおろして、泣いていることしかできない自分がふがいなくて、何度も相談員をやめようと思いました。

けれども、そんな私を救ってくれたのは当の子どもたちだったのです。「こんなに一生懸命、子どもの話を聞いてくれる人がいるとは思わなかったよ」、「話していたら気持ちが楽になった。元気が出てきた。」「また会ってくれる?」子どもたちから、そんな反応がかえってきたのです。

そうか、子どもたちは解答を求めていたのではなかったのだ。人間は、結局、自分の苦しみから立ち上がる道を自分で見つけるしかないんだ。でも、ひとりぼっちでは、それができない。だから話を聞いて、いっしょに悩んで、考えてくれる人がほしかったんだ。 私はこのままでいこうと覚悟を決めました。私にできるのがそれしかないなら、そうするしかないと思いました。

傷ついた子どもたちの回復

ただじっと話を聞いているだけでも、子どもたちの苦しみが流れ出してくるのを感じます。ひとりで抱えていたら重くてたまらなかったものを、だれかに分けて持ってもらうだけで、人間はずいぶん楽になれるものですよね。

でもその関係ができてくると、私のほうからどうしても投げかけたいメッセージが生まれてきました。なぜなら、原因は千差万別だけれども、苦しんでいる子どもたちが間違いなく陥っているつらさ、それは「自分なんか生まれてこなかったほうがよかったんだ」という自分を責める思いであることが見えてきたからです。

そんなことはない。あなたは生まれてきてよかった。今とても傷ついているけれど、それでもありのままのあなたでいい。生きていていい。あなたに生きていてほしいと願っている人が必ずいる。だれもいなかったとしても、目の前に座っている私が。そう願っているじゃない。

このメッセージを、表現はさまざまに変えながらも、時にはことばにしなくても、子どもたちに浴びせるほどに伝えたくなるのです。 深く深く傷ついた子どもたちが、それでも自分は生きていていいんだという確信をつかんだとき、やっと自分の道を自分で見つけ出し、前を向いて歩き出します。

その回復のエネルギーのすばらしいこと。実は、子どもたちのこの姿を見せてもらうたびに、私のほうが元気をもらっているのです。

祈ることが許されている

何といってもつらいのは、冒頭に述べたように、子どもと気持ちが通じ合わない時です。あるいは虐待の果てに子どもが命を落としてしまうというような、もはやどうにもなららい事態が起きた時です。 弁護士仲間で話すときや市民向け後援会などでは触れたことがないことがあります。

それは、私たちには、とりなしの祈りが許されているということです。つまり自分の力ではどうにもならない状況の中で、相手のために、神様の恵みがありますように、イエス様が寄り添ってくださいますように、と祈ることが許されているということ。それが、私にとって、どれほど大きな救いであるか、はかりしれないと思います。

私は幼児洗礼を受け、教会の附属幼稚園に、そして高校一年生の時まで教会学校に通っていました。でもその後、神さまの存在に疑問をもって教会を離れてしまいました。 その私を、三〇年の時を経て、再び神さまのもとへ、教会へと連れ戻してくれたのは、これらの子どもたちだったといっても過言ではありません。打ち捨てられる子どもたちとともに歩いてくださるイエスさまが、私を招いてくださったのだと思います。

そして彼女にも

少年鑑別所での彼女との三回めの面会を前に、私はなすすべもなく毎晩祈りました。「私にはどうすることもできません。どうかイエスさまが彼女に寄り添い、彼女の深い孤独、人間不信を癒してあげてください。」と。そして重い心で彼女と面会したのです。

ところが、なんとその日初めて、彼女とうち解けて話すことができたのです。これまでの生活や非行の詳細、これからの生活への不安や希望、自分の問題性、間近に迫る家庭裁判所の審判への準備。次々と語り合うことができました。少年院に送られることがほぼ間違いない状況で、出院後の居住先の世話や高校受験の準備、少年院への訪問などの私の申し出も、これまでのように拒むことなく受けとめてくれたのです。

神さまは生きて働いておられる。「少年院でがんばってこようかな」と語る彼女を見つめながら、涙が出そうでたまりませんでした。

子どもとかかわるすべての人にエールを送ります

もしかしたら、教会学校に通ってきている子どもたちの中にも、人知れず苦しんでいる子どもがいるかもしれません。そのまわりには、もっとたくさんの苦しむ子どもがいるでしょう。

それに気づいた大人たちが、どうしたらいいのか。そして子どもたちをそれほどまでに苦しませないために、どんな社会にしなければならないのか、子どもとパートナーとして生きるってどんなことだろう。そんなことをいっしょに考えながら、読んでいただければ幸です。

もうこれ以上、自分をいじめないで

子どもの話を聞くには時間が必要です。自分の思い過去を、整理して人に語る訓練などまったく受けていない子どもたちです。彼女の生い立ちを聞くために、私は、留置場へ、次は少年鑑別所へと何度も足を運びました。

彼女は幼い時から、両親の不仲の中で、父の暴力、母の暴言を受けながら育ったのです。けんかをして母は家を飛び出していく。父は、寝ている子どもたちを蹴っ飛ばして、八つ当たりをした。妹たちをかばって父の前に立ちはだかり、「私を殴ってからにして」と言ったこともあった。殴りかかってきた父に金属バットで向かったこともあった。そうしたら父はビール瓶を割り、それを振り上げてきた。母は「おまえなんか生まれてこなければよかった」、「そんな悪い子は死じまいな」と怒鳴った。

見たくなかった、聞きたくなかった。でも逃げられなかった。幼い子どもはどこへ行って、だれに助けを求めればいいか分からないのです。どんなに虐待されたって、親にしがみついているしかないのです。

五年生になり、夜、外へ逃げられるようになりました。近所にたむろしている「先輩」から、「これをすえば忘れられるよ」とすすめられたのが、シンナーだったのです。

警察に補導される。家に連れ戻されれば、また殴られる。家出を繰り返す。中学に入る頃には、「自分なんか生きてたって、死んだってかまいやしない。親だって私のこといらないんだ。」と思っていたそうです。悪いことは何でもやった。喫煙、授業妨害、リンチ、暴走族、売春、暴力団、覚醒剤。

私に何が言えたでしょうか。ここまで自分を蔑み、傷つけてきた子どもに、お説教など効きめはない。

せっぱ詰まって、「もうこれ以上、自分をいじめないで。世の中のだれもあんたをいらないんだと思っているのでしょう。でも目の前に座っている私が、あなたに生きていてほしいと願っていることは信じて」というのが、精一杯でした。本当にそう思いました。

「神さま、ありがとうございました」

彼女は、「少年院にはぜったいに行きたくない」と言いはっていました。けれども、ほかに行く先はなかったのです。

審判の三日前、そのことを告げたとたん、彼女は鑑別所の廊下中に響きたわる大声で、「もういいよ、帰ってよ。私は極道になってやるから」とわめき出しました。

何を言っても聞きません。私は泣き出してしまいました。彼女も後ろを向きながら泣いていました。でも、心は通わず、時間がきたので私は帰らなければなりませんでした。

翌日もまた同じことが繰り返されました。せっかく初めて信じた大人がまた裏切った。彼女はそう思っているのだろうと考えるとつらかったのです。

自分の無力さを感じずにはいられませんでした。

ところが次の日、審判の前日、彼女は面会室に晴れやかな笑顔で入ってきました。

「先生、夢見たよ。先輩が出てきた。待っているから少年院に行っておいでって。私、少年院に行って、いい子になってくるよ」

私は思わず心の中で、「神さま、ありがとうございました」とつぶやいていました。人間の力を超えた何か、神さまが働いてくださったとしか思えなかったのです。

子どもたちを知ってください。

重大な結果をもたらす子どもの犯罪が報道され、世間は騒然としました。危険な子どもたちをもっと厳しく隔離して処罰せよ、少年法が子どもたちを甘やかすからこんなことになったのだ、少年法を改正せよ。そのようなことが声高に叫ばれ、とうとう2000年11月28日、少年法が「改正」されてしまいました。

被害者にきちんと情報を開示し、被害者の意見をきちんと聞いて審判するという制度を取り入れたことは評価できるところです。しかしそれ以外の部分、子どもたちへの教育的・福祉的支援により、更正と成長を支援しようとしてきた少年法の理念を疑い、刑罰化、重罰化をすすめるために「改正」された部分については承伏しかねます。

重大な犯罪に陥る子どもたちが、その生い立ちの中で、虐待や放任、過保護、あるいはいじめにあっていないことのほうが珍しいのです。だれも助けてくれない絶望的な弱さの中で、自分が生まれてきたことの意味を疑い、自分の存在を否定する。自分を大切にできない子どもに他人の命を大切にできるはずがありません。やぶれかぶれなのです。未来などまったく見えないのです。自殺と紙一重の殺傷事件を起こした彼らに、重い処罰を与えて何が生まれるでしょうか。

それで社会が少しでも明るくなるでしょうか。被害者が本当にそれで救われるでしょうか。私にはどうしてもそうは思えないのです。テロに対する武力報復では何も解決しないのと同じように。ますます恨みや怒りがつのり、疑心暗鬼となり、人の心が荒れてゆく社会にしかならないように思えてならないのです。

彼女は私に光をくれました。人間は捨てたもんじゃないんだよ、神さまが守ってくださるんだよって。それから10年。いろいろありましたが、彼女は今、二児の母として一生懸命生きています。そして私は教会へ帰ってくることができました。そして、この世界にさしこむクリスマスの光を、うれしく待っているというわけです。

次回の更新につづく。。。