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クリスチャンの声 二俣泉さんより 『 礼拝での音楽の賛美 』

私の仕事は、音楽療法士です。病院等での音楽療法の実践と、大学で音楽療法に関する講義をしています(音楽療法は、高齢者、発達障害、終末期の患者、身体障害等、健康に関するニーズを抱える人々を対象に、先進各国で広く実践されており、日本でも近年、急速に発展しています)。

音楽療法では、対象者のニーズに応じて、様々なアプローチが行われます…身体リハビリテーションに音楽を活用したり、即興演奏を通じて対象者に達成感や喜びを味わってもらったり、馴染みの唄を歌ってもらった後で回想を引き出したり、音楽を聴かせてリラックスを誘ったりします。

音楽療法の現場では

音楽療法の現場では、他者と関わるのが難しい方が音楽を通じて他の人とイキイキと交流したり、歌をうたいながらしみじみ涙を流したりする場面に出会います。

そんな時、「音楽は、神さまが私たちに下さった素晴らしい『恵み』の一つだ」と強く感じます。

神学者の八木誠一氏は、音楽について、とても示唆的な見解を述べています。

音楽は、単なる音の集合ではない。

「音楽は、単なる音の集合ではない。音楽において、ひとつの音ははっきりと他の音から区別されながら、つまり個性を持ちながら、他の音なしには音楽は成り立たない。ひとつの音は他の音を予想している。

…そして全体としてのまとまりを成している。

同じ楽譜を限度内でいろいろなふうに演奏することができる。

そしてもしある音を弱く、やわらかくひくというなら、全体もそれにふさわしく変えなくてはならない。

…すなわち、ひとつにまとまっているとは、特定の個における変化が、他の要素に波及してゆき、その結果はじめの個が変化しても、やはり全体の中で再び落ち着いた位置を占める…他に及ぼした影響が再び自分自身にはねかえってくる、ということなのである。」(「キリスト教は信じうるか」講談社現代新書) 八木氏はそして“音楽とは、複数の互いに異なる要素から成り立ち、なおかつ、お互いが影響しあいながら、しかも全体としてのまとまりを成すもの”だとも述べています。

「私はぶどうの木、あなた方はその枝である」

イエスさまは、「私はぶどうの木、あなた方はその枝である」と言われました。

人間一人ひとりはか細い枝に過ぎませんが、太くたくましい幹に繋がっている、木の一部でもあるのです。

このことを音楽に置き換えれば、“各人はひとつの音に過ぎないけれど、それは、ひとつの音楽を形作る重要な一音である”ということになるでしょう。

『救われる』ということは、自分が “ひとつの音楽の中のかけがえのない一音であるのに気づくこと”なのではないでしょうか。

世界に音楽が存在することそのものが、神様からの私たちへのメッセージであるように、私には思えます。そして、音楽における全体と個々の音との関係性は、神様と人間との関係が表されているように感じます。

自分自身が神様の奏でる音楽のかけがえのない一音であることを実感しながら、聖歌隊のメンバーたち、そして、礼拝に集うすべての会衆の皆さんと共に、礼拝での音楽の賛美の「一音」を奏でたい、そう願っています。

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