クリスチャンの声 音の旅人さんより『全体聖書学びの会』
弓町本郷教会では、毎週日曜の礼拝の他に1ヶ月に1回、第1日曜の午後に全体聖書学びの会というものが開かれます。
この会は、普段の礼拝説教とは違い、以下のような特徴があります。
会の内容
第1に、牧師から与えられた聖書箇所について、4つほどのグループに5から6人ほどで議論します。この議論において、普段話すことがない年代の方とお話できるだけでなく、自分とは違った聖書に関する読み方や考え方を学ぶことができます。
第2に、議論のあと各グループごとに簡単な疑問点や聖書箇所の解釈などを発表し、より多くの聖書の見方を学ぶだけでなく、菅原牧師の解説により目からうろこが落ちるような聖書の真髄を知ることができるということです。
心に残った聖書箇所の解釈について
次に、心に残った聖書箇所の解釈について簡単に紹介したいと思います。
そのときの聖書箇所はぶどう園のたとえ話の箇所でした。
端的にいいますと、ぶどう園の領主が農夫を雇い、早朝から晩まで働いた農夫にも、残り1時間ほど働いた農夫にも同じだけの報酬を与えたというものです。
我々の観点からいいますと、不平等のように見えます。
しかし、ここには神の深遠な意思が隠されているのです。
働いた時間や量の報酬について
つまり、ぶどう園の領主は農夫の働いた時間や量には関係なしに、平等に報酬を与えました。
これは、一見すると朝から働いた農夫が損をしているように見えます。しかし、ここで注目してほしいのは農夫の働いた量ではなく、結果、つまり報酬が平等であったということです。
私たちは、とかく他人と比較し、自分はこんなに頑張ったのだから、このぐらいの報酬をもらうべきだと主張しがちです。
また、人と比べて報酬が多い、あるいは少ないと思うこともあるでしょう。確かに、そう思うことも仕方がありません。
ただ、私たちの人生の行き着く先を考えて見て下さい。お金持ちも貧乏人も地位のある人もない人も平等ではないでしょうか。
平等に命を与えられて平等になくす。これが人生の真理ではないかとも思えます。
神様からのプレゼントとは?
最後に、この上の考え方は自分の見方もあり、牧師が話された内容は、次のようなものでした。
領主は神で、早朝から晩までその時ごとに呼び出された農夫は私たち人間である。神はいつでも私たちをぶどう園である神の国(人生と言う名の農場)に呼び、働いてもらいたいと思っている。
自分自身が神からのプレゼントで、今いる場所でそのプレゼントをどう使うのが一番良いか考えてほしい、といった内容でした。自分自身が神から与えられたプレゼントなどとは思っても見なかったので、目からうろこが落ちた思いでした。
そして、今いる場所も今まわりにいてくれる人も、神様からのプレゼントだと思い大切に生きていかなければと思うようになったのです。私の字足らずな部分もありましたが、ぜひ教会に足を運ばれて、牧師の話す神の思いに耳を傾けてほしいと思います。
そのことが、私という、また、あなたという神からのかけがえのないプレゼントを私たち自身に再び思い出させてくれるのではないでしょうか。