受洗された方にインタビュー!

――今日はこれからのインタビューの為にお時間をとってくださり有難うございます。教会のウェブサイトを見て礼拝に足を運んでくださったと伺い、嬉しく思います。

何故、「この教会のホームページを見て来ました。」と言ったぐらいで喜んでくださるのかが不思議だったのですが?

――それは、やはり日本では、宗教のことになるとドン引きされるのでは?と思いつつも教会と聖書のことは、発信して行かなければという思いで作っているので、実際に教会に足を運んでくださった方がいると嬉しいのです。この教会のウェブサイトをみて、嫌な気持ちになりませんでしたか?大丈夫でした?

別に何も思わなかったでしすよ。なんか、大きい教会だなという印象で、これなら紛れ込めるかな、入りやすいかな。と思いました。

――ところで、今年のイースターに洗礼を受けられましたが、なぜ、今年の春だったのですか?

ああ、それは、はじめからクリスチャンになりたいと漠然と思っていたのですが、なにか決心出来ない状態でした。 そんな時、クリスマスの洗礼式での出来事により、ここで洗礼を受けたいと思うようになりました。

――へ〜それは今クリスマスが近づく時に聞けて嬉しいコメントですね〜。もう少し詳しく教えてもらえます?

実は、洗礼が行われる礼拝の時に、壇上の下、つまり私たちと同じ高さであり洗礼に使う聖水のすぐ近くに人の姿をしたイエス・キリストが立っている、と確かに見たように感じたんです。 私はそれまで、イエス・キリストは霊のような存在だと誤認していたし、世間一般で言われる霊感は全く無かったので非常に戸惑いました。しかし、見た事はそのまま受け入れるに値する事です。イエスキリストは私達と共におられる、洗礼式を執り行う、洗礼を受ける者を祝福する、この教会はキリストのからだである、これら全てを神が私に悟らせたんだと思います。 イエス・キリストはこの教会で生きて働いているんだと知ったので、次は私も洗礼を受けようと思いました。 ちなみにそれ以降、視覚でキリストを認識した事は全く無いです。あの時は特別だったのかもしれません。

――は〜聞いてみるものですね〜。でも教会の洗礼式は、ほんとに神さまの働きが実際に今もあると実感できる時で、それがきっかけで、あなたの2013年のイースターの信仰告白と洗礼式があって、今このように会話できることを嬉しく思います! では、その時の信仰告白をここで、発信したいと思いますがいいですか? 

おお!やった〜。どうぞ!

信仰告白【イースターを迎えて】

T.Mさんより

私が何故教会に来たかときかれた時には、なんとなく来たとしか答えていませんでした。

しかし、本当の理由は私の潜在意識まで紐解かねばならないものなのだと考えております。 では、私の潜在的な意識は何を求めていたのか?それは、はっきりと救いを求めていたのだと私は今ではそう理解しています。

私の生い立ちは、東京に産まれたところから始まります。両親もまた親戚にもキリスト教徒は一人もおらず、多くの人に喜ばれてこの世に生を受けました。

幼い頃の私は、大変に手がかかる子供だったそうです。幼稚園の入園式には他の幼稚園生がひな壇に行儀よく立っている中で、一人床で暴れ回りその姿のまま記念撮影がされていました。

その写真は今でも大切に保管されており、嬉しいのか悲しいのか良くわかりませんが、無理やり映さずに右上に丸い写真を貼付けてくれればよかったのにと思っています。とにかく私は、新しい環境には不安を覚える気質だったようで、どこかに遊びに連れて行かれてもすぐに「お家に帰ろう」と言っていた事を思い出します。

先ほど幼稚園に入園したと言いましたが、途中からはお寺の附属保育園に入園しました。だからと言って、私が仏教的な思想に親しむ事は無かったと断言出来ます。もちろん保育園でも宗教教育をされた覚えは無く、また両親も特定の宗教の教えにより子育てをするという事もありませんでした。

例えば、悪い事をするとバチが当たる、神様やお天道様が見ている、人との縁を大事にしなさいなどと言う事は一切ありませんでした。また、お守りも付けた事がありませんでした。ただ一点「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」という根拠の無い脅しをかけられた事はあったので、嘘だけはついてはいけないと強迫観念的に思い馬鹿正直な人間に育ってしまった可能性はあります。

さて、大きな病気も無く健康に支えられた私は無事に小学校に入学しました。多くの人にとって友達や一人で出来る事が増え希望溢れる時代ですが、この頃に親から発せられたメッセージにより私の考え方が歪められ、結果的に誤った価値観を身につけていくベースとなってしまった事実は、これから先15年たたないと気がつかないのでした。

母親はとにかく過度の心配性でした。母親たるもの心配して当たり前と言うかもしれませんが、友達とおしゃべりをしたという些細な内容ですら不安そうな顔で声を震わせ詮索してくる母親からは正直ストレスに感じました。

そして、もし母親の意にそぐわない内容があれば、とても悲しい顔をして、次の瞬間には友達を辞めるよう徹底的にその友達を否定し続けていました。そのような環境にあったので、学校での出来事を決して一言も家で話さないように注意するようになりました。もちろん子供なので、学校での楽しい出来事を笑顔で話して共有したいという思いはありましたが、その小さな願いが叶う事は決してありませんでした。

心配というのは子供にとって悪影響だという事を大人になって知りました。心配する母親を見て、子供は自分が信頼されていないから心配されると受け取るそうです。また、子供は親の望む通りに行動する傾向があり、心配されている場合はその心配通りの結果、つまり失敗を無意識に引き起こしてしまうようです。私にはもう何が原因かはわかりませんが、この頃の経験により、自己肯定感を獲得する事に失敗したのかもしれませんし、やれば出来るというよりも、やっても失敗するという不安感を持つようになってしまったのかもしれません。

この小学生の頃に私の人格を決定づけた事に、家で母親が一日中誰かの悪口を言い続けた事が挙げられます。近所の人と会ってニコニコと話す母親がその人と別れてすぐ悪口ばかり言うので、私は家族以外の人間と親しくする事に価値を見いだせませんでした。この頃の経験により、人は決して信用してはいけないという基本的な考え方を身につけたのだと思います。当然悪口の範囲は私の友達にも及んでいた為、私は仲が良かった友達とはなんとなく関係が薄くなり、自分で友達を選ぶ事を放棄し、母親の言う通りにする自主性の低い人間になってしまったのかもしれません。

しかし、良かった事もあります、母親を反面教師とし人を誹る事がほとんど無い性格になった事です。

かなり悲観的な言い方をしましたが、これは潜在意識に刷り込まれた事であり、小学生のような人間関係が複雑でなく、ストレスも皆無な生活で爆発する事は決してありませんでした。

家での私と学校での私を明確に使い分け、家の事は家の事、学校の事は学校の事で決してまぜる事はしませんでしたが、それでも学校生活は無邪気にはしゃぎ回り本当に楽しいものでした。

なんとなく上手くいかないと思い始めたのはやはり思春期と言われている時代だと思います。自分の力、あるいは家族や友人の助けにより解決しなければならない程悩みが多くなりました。

「出来事が」というよりも「見ている世界そのものが」悩みの多いものに変化していきました。

青い春と書いて青春と読みますが、今考えるとまさにそれで、誰でもが経験する憂鬱な事なのだと思います。多分それだったのでしょう。この頃の事が辛いといっても、それは私だけが経験しているような事ではないと思います。

悩みが多くなり、どう対処すれば良いか分からない中で、友達を作るな、誰の事も信用するなという潜在意識にすりこまれた問題解決への行動パターンはこの頃更に強化され、誰の頼りも必要とせずたった一人で力強く生きていくという決心をしました。しかし、一人で力強く生きていくと決心をしても実際は、一人で苦しみもがく日々を送っていました。中学の終わりから始まり高校の頃には更に情緒が不安定になり、日々のストレスから過呼吸などの身体的な症状としてもはっきりと目見える形で現れていました。

幸い、学業面の才能とくに理数系では授業の内容を十分理解出来る程度には恵まれていたので、学校には通い、大学にも何の問題も無く進学する事が出来ました。

大学に入学してもまだ、いやむしろより一層、漠然とした不安を毎日感じ続け、不幸な毎日を送っていました。流石に死ぬほどの気力はなかったですが、自分や周囲の人、環境、未来全てに希望を持つ事が出来ずに絶望し、自分の存在が過去から全て消えてなくなりたいと願う事が良くあり、生きづらいと毎日思っていました。この状態が高校生の頃から何年も続いて来た事は私の人生において大変不幸な出来事だと思います。

ようやく何かがおかしいと感じはじめたのは、卒業研究で研究室に配属されてからです。その頃、学業・研究室内での人間関係、男女問わず交友関係に大きな問題が生じ、今までにないぐらい落ち込み全てが上手くいかず、それが私の行動により引き起こされ、また私だけがおかしいという事にやっと気がつきました。

本などで調べながら、必死に自分の性格を構成する誤った価値観と考え方を把握し、その誤りが生じた原因を過去の出来事から追及し、根本的な人格を変える努力をしました。あまりにも項目が多過ぎたので、一つ一つを言うのはキリがないですが、大きな要因となっていたのは、自尊心が低く自分には生きる価値がない者と無意識に考えていた事と、自分の感情や考えが他者に共感・依存しすぎている事が挙げられます。自尊心の低さは人生を楽しむ事を禁じてしまい、徹底的に私を不幸に追いやっていました。

変えるのは大変でしたが、これを今たださなければ私は生きていく事が出来ないので、徹底的に意識を変えていきました。ネガティブな感情が出る度にそれを打ち消し健全な思考になるように日々心がけました。それはあまりに辛く、ストレスだったので、免疫機能が低下しきってしまい、今から4年半前に癌を発症してしまいました。アーモンドの大きさ程度と言われる卵巣は40センチを超えてしまっていました。

心身ともに療養したかったので、すぐに留年する事を決め、半年程度入退院を繰り返しました。幸い手術で10キロの腫瘍を取り出して解剖してみると、まだ・期だったとの事で本当に幸いにも今もまだ生きています。

半年全ての日常から距離を置き、療養期間を設ける事で、私の考え方も少しずつ正されていきました。以前のように、気がつかないうちに心が不安に支配される事もなく、楽しい事を考えて生きていけるようになりました。

ほとんどの絶望は、私の努力により遠ざけられ、何もない平和な毎日が続くようになりました。しかし、遠ざけられたのは絶望のほとんどであり全てではありませんでした。

私が経験した親への不信感は、私の親も経験し、またその親も経験しており、つまり私の子供も経験するでしょう。これは大きな絶望でした。私には失敗する事が始めから示されていました。

私は、何が正しくて何が正しくないのか、どう生きていけばよいのか、真理や教えを追い求めていました。それは、私が心のどこかで希望を持つ事を忘れなかったからです。そして、学校も一段落し時間が余りがちになった時に、ついに世の真理を求める行動を起こしました。

今まで何年も一人で頑張って来たのにほとんど実を結ばなかった自分の努力に対して、全く信用していなかったので、哲学を究めて真理を探すなどとは思わず、努力が重視される仏教にも興味をもたず、毎週日曜日に通うだけでよい教会に行こうと思いました。  なので、教会に来ようと思った理由、というよりも潜在的な要因として今までの経緯が挙げられます。このような経緯が無かったら決してキリスト教会には来る事無く一生を終えていたと思います。

他の要因としては仏教や神道に疑問を抱いていた事も挙げられます。葬式での仏教的な儀式に疑問を持っていたため、このやり方で自分の葬式が行われるのは嫌だと感じていましたし、自分の都合の良い願いを自分勝手に要求する神道にも疑問を感じていました。キリスト教にはほとんど知識が無かったので、知ってみるのも面白いと感じていました。

さて、どこの教会に行くか考える時に、プロテスタントで人数が一番多い日本基督教団の教会に行く事に決め、次に大きい教会なら人間関係も閉鎖的ではなく入りやすいと考え、また道に迷わないように知っている土地にある教会を探しました。教会には通ってみたいと思っていたので、まず1つの教会に行き、何か違うと感じたらまた別の教会に行って自分に合う教会を選ぼうと考えていました。

大変に不思議な事ですが、一カ所目のこの弓町本郷教会に来て、何か違うと感じた事は無く、他の教会を見るのも何か気が進まなくなってしまったので、自然とここで毎週礼拝を守るようになりました。

私は本質的に素直な性格なので、疑いを持たずに熱心に聖書に耳を傾けてきました。その為、特別信じるきっかけがあったのではなく、救い主としてのイエス・キリストを信じさせられた瞬間があったのではなく、徐々に自然と認めていくようになりました。

私は今まで述べた通り、過去にも今にも誇るような事は何一つありません。あるのは弱さや愚かさばかりで、この弱さや愚かさにより主が私に憐れみを注ぎ、教会に招いて下さったと信じています。ですので、私がはじめて教会に足を運んだという事がもう既に神のみわざによるものであり、それを大変幸せに思っています。

この世の真理ですが、イエス・キリストは、「私は道であり、真理であり、命である」とおっしゃいました。真理を知らずに正しい方向に進む事は難しいと感じます。

人を愛するという事ですら、たとえイエス・キリストの教えを知っていても正しく行う事は非常に困難であり、まして知らなければ正しく行う事は不可能なのではないかとすら思います。今までイエス・キリストを知らずに生きて来た時には、様々な困難にぶつかった際に挫折をして誤った方向に進んでばかりいました。けれども今では、イエス・キリストが真理であると知っているので、主の教えに従い希望をもって正しい道を歩もうとする事が出来、本当に嬉しく思います。

私は今までの神様を知らずに自分勝手な行動ばかりをして過ちを繰り返した自分の罪を悔い改め、イエス・キリストの名のもとで新しい命を得ようとしています。それは、何一つ不安などなく希望に溢れ輝いて見えます。そして、この希望は失望に終わる事はありません。私がこのように主を信じて洗礼をうけようとしているのは、人生の中でも最も幸せな瞬間だと確信しています。

最後に、この教会で皆さんと共に礼拝を守り、主を賛美していけたらと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。以上を持もちまして、信仰告白と致します。

Merryy Christmas

May you have a warm, joyful Christmas this year!